永森康雄 (高校9回 幹事)「H9の腕白仲間この指とまれ」

H9の腕白仲間この指とまれ(平成27年1月8日に開催した戸塚宿七福神巡り)

高校9回 幹事 永森康雄

松が取れた直後の8日、恒例の七福神巡りを今回は倉沢さんにおんぶにだっこして日本橋から距離にして九里離れ、数えて六番目の宿場戸塚宿で開催しました。
広重の浮世絵に描かれている戸塚宿は柏尾川に面した宿場町で、左に行くと鎌倉に、東海道を直進すると次の藤沢宿に至る近郊交通の要の町で、往時から現在まで賑わい続けています。活気あふれる町の中を、戸塚宿七福神協議会発行の簡単なマップだけをたよりに八か所の社寺を巡るのは至難の技で、微にいり細にわたって手助けしてくれた倉沢さんがいなかったら多分平成27年1月8日は私は家でのんびり猫と遊んでいたことでしょう。
倉沢さんに助けられたこと
①マップは逆さまに見るべし
②昼飯は区役所の食堂がお勧め
③バスを使うべし
④反省会々場候補等々
①は、彼女曰く「簡単な事、上が上りで下は下りょ」戸塚宿の住人からすると東京横浜方面は上りでマップをそれに合わせたら西と東が入れ替わっちゃったんだそうだ
②は、旨い安い早い
③は、年寄りは無理をしないで大坂下までバスに乗る事
④は、「私はあまり行かないけれど駅周辺には午後も休まず営業している飲食店が沢山有るわょ」。
地図を逆様に見ながら妙秀寺を目指しました。柏尾川沿いの遊歩道を進み広い日立エレクトロニクス工場に沿って右に曲がると弁財天のおわす妙秀寺に突き当たりました。
地図の見方を知らなかったら青春時代の真ん中で『道に迷っているばかり』。旧東海道を北上し寶蔵院で毘沙門さまと会ってきました。
この寺院は靴を脱いで本堂に上り正面に安置されている毘沙門天に拝謁するユニークな方式でしたが拝観やご朱印拝受も滞り無く執り行われ、スケジュールは順調に推移、JRの線路を跨ぎ国道の下を潜り抜けて来迎寺で寿老人に迎えられる。寿老人とひとしきり茶飲み話で盛り上がった後恵比寿様の待つ雲林寺へ、釣り狂の田辺君は鯛釣りの極意を聞き出そうとしたがお賽銭が少なすぎると色良い答えは貰えなかったみたい。
小一時間歩いて戸塚駅に戻る。途中の青源院で二体目の毘沙門天に出会う、此所の毘沙門天は土蔵の壁の中から出て来た江戸中期の作だそうで如何にも霊験有りそうなお姿、でも皆の関心はこの後に控える昼食の事、目と鼻の先に駅前の大きな商業ビルが見えるのですから・・。
一角に在る区役所のレストランで日替わりランチとコーヒーの優雅な昼食を楽しんだ後西口のバスセンターからバスで大坂下まで移動し徒歩5分の所にある親縁寺で福禄寿に腕白仲間の幸福と長寿を願いましたが五円玉一枚のお賽銭で二つもご利益は期待出来るかな。この後10分ほど歩いて海蔵院の布袋尊に面会、薄い衣に太鼓っ腹姿で風邪ひくぞと心配してあげたら『寒さこらえて12日まで我慢しろと観光協会のお偉いさんに言われてるんだょ』だって。
高松寺で大黒様に打出の小槌を振って金銀財宝のお裾分けをと頼んだら『あんた等に上げるくらいなら東日本大震災の被害者に分けてあげるよ、御題目を唱える時に「頑張ろう東北」と一言言い添えて、ついでにもう少しお賽銭を弾んでくれたら偶数月の天気が良くなる様にお天道様に頼んでやるよ』と笑っていました。
和やかな雰囲気で高松寺におわす大黒天と一期一会を楽しんでから戸塚駅に戻って終了解散。
年金生活者に相応しく少額のお賽銭で七福神に色々な依頼事をし終えた広瀬・酒井・池田・井上明美・大石・大髙・大野・蔭山・木村栞・倉沢・中澤・出崎・上野・宇田川・榎本・大内・大村・片山・五艘・清水・園田・田辺・中島徹・中山・峯岸・目時それに永森の27名は戸塚駅周辺を風体七十気分二十歳に変身してそぞろ歩き宿場町の風情を満喫していました。
今年は何か良い事有りそうな予感・・・。