植村和生 (物理・数学)

2008年(平成20年)3月末をもって、学院を定年退職し、現在4年目を迎え、相変わらず元気に飛び回っています。  現役時代から引き続き、橄欖会の仕事を微力ながら、かれこれ40年間お手伝いさせていただいております。同時に関東学院同窓会のお仕事も努めさせていただいております。  さて、現況ですが本年9月17日(土)に、ひとつの大きなイベントのお手伝いをいたしました。その報告を記します。  関東学院同窓会(大学・短大・中高・六中高・小・六小の同窓会で故坂田祐院長の提唱により昭和40年に発足)の本年度の事業として関東学院の源流である3つの碑を訪問するツアーを企画・実施することでした。

当日は天候にも恵まれ、少し残暑厳しい中でしたが、26名の会員が8時15分に三春台に集合。まず、第3の源流である三春台の地で記念碑を確認(中学校旧本館の玄関脇に、創立125周年を 記念して、建立された碑です。)そしてバスに乗車し、次に第1の源流である山手の横浜バプテスト神学校跡地に建立された記念碑を見学。

1884年10月6日山手64番地(エリスマン邸の裏3分)に設立された神学校は、ベンネット氏を校長として発足。最初の学生は5~6名といわれている。ベンネット氏は1896年(明治29年)に発生した三陸大津波の時に4800$の救援金を持って現地に苦労して運び、漁船の購入や老人の布団の手当をしたと伝えられています。同時に氏は「私は旧約聖書の大洪水の物語を、これほど良く理解できたことはないように思えた」と記しています。この地震・津波では27、122人が死亡。失った船は7,032隻。全半壊住居8,891戸と歴史書は伝えています。

さて次は、東京築地(現在・中央区明石町)に設立された東京中学院(1895年開校、後に牛込左内町に移転し、東京学院と改称)を記念する第2の源流碑である。設立者はクレメント氏、学院長は渡瀬寅次郎氏(札幌農学校1期生)です。東京学院に移転したときは、学院長テンネー氏に、そして中学関東学院の発足時の氏は設立者・理事長として務められた。

これらの事柄をバスの中で紹介しながら二つの曲を斉唱しました。

1曲目は、賛美歌48番「静けき夕の、調べによせて・・・」で作詞ベンネット氏、作曲は同夫人となっています。2曲目はテンネー氏作詞・作曲の「CLLEGE DAYS IN YOKOHAMA」を斉唱しました。後で考えたら坂田祐先生作詞の「港の西」を紹介することを忘れてしまったのは心残りでした。

さて、バスは順調に築地に到着。まず第2の源流碑を確認後、自由散策となりました。周辺は江戸末期から外国人居留地でしたから、多くの日本人の先達が学び、現在に続く私立学校の発祥地として、それぞれの学校が意匠をこらした碑が建立されています。雙葉学園・立教・慶応義塾・明治学院・女子聖学院等1時間半の散策も足りないくらいであった。ちなみに播州赤穂浅野家跡もこの近くでした。

「源流を訪ねて」の旅はこの後浅草で昼食し、スカイツリーを望見し、隅田川を船で下り、再びバスで横浜に帰りました。非常に楽しく、有意義な事業であった。

近況報告がすっかり事業報告になってしまいましたが、現在活動しているサークルの写真で雰囲気を味わって下さい。1枚は、瀬谷混声合唱団のメンバーとして、活動中(?)のものと、もう1枚はカラオケ大会(?)で熱唱中のものです。楽しんでやっています。お笑い下さい。他にまだ首を突っ込んでいるものもありますが、いつかものになったら報告します。

(写真をクリックすると拡大します)